「鎮魂と平和の苑」事業

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〇活動概要
 この事業は、櫻内会長時代に政府へ趣意書や要請書を提出してお願いしてあり、現在は、後述するように、櫻内元会長の判断・御指示にて、政府の出方待ちで静観する、ことになっている。
 ただし、この事業に関しては、内外部から誤解を生じている面もあるので、この際、これまでの経過を、長文になるが、やや詳しく説明・報告しておくこととする。
 この事業を始める発端は、平成7年頃、当財団教育部会で、荒廃した教育をどう立て直すかを検討した際、もはや制度や組織を改めるだけでは足らず、いわば「日本人の心の再建が必要である、との意見が出て、それには何をすべきかを検討した。
 その結果、当時、溺れる他人の子供を助けるため、飛び込んで自らは溺死されたケースが話題となったこともあり、そうした他人に尽くして亡くなった方は、数日は感動を呼び話題となっても、やがて忘れ去られてしまう。しかし、こうした立派な方々は末永く顕彰すべきだ、との声が上がり、当時、調査すると、戦後だけでも、警察官で犯人逮捕などで殉職された方が850人、消防が消火活動などで2000人、自衛隊が訓練などで1950人、鉄道・船舶など公共運輸機関で数千人、道路・橋梁・港湾・ダムなど公共工事関係では数万人の方が亡くなっていることが分かった。
 こうした殉職者は、その土地土地で慰霊・顕彰されているが、これをある特定の地域に祀り、その顕彰館も設置し、誰でも何時でもお参りできる施設をつくりたい。そうすれば、そこをお参りした方々は、「世の中には、こうして他人・社会・国家のために尽くして亡くなった方がいるのだから、自分も悪いことをしてはいけない。少しでも良いことをしよう」という気持ちになるであろう。そうして「日本人の心情を浄化する」運動こそ、真の教育になる、との意見が出た。
 そして、丁度その頃、当財団の小玉外行会員(故人)から、それなら、先の大戦で亡くなった民間人を含む戦没者の方々を慰霊する施設も併設してもらいたい、とのお話があった。すなわち、小玉会員は、御自身が民間人としてフィリピンにおられ、現地召集を受けて軍人となったが、時すでに日本軍は連合軍に追い詰められて、ルソン島の密林に逃げ込んだ。そのときは、軍人・軍属も一般民間人も一緒で、乳飲み子を抱えた婦人たちも、連合軍の落とすナパーム爆弾、あるいは洞窟に潜んでも火炎放射器で焼き殺された。軍人・軍属の方は靖国神社にお祀りされているのでまだよいが、戦時中に亡くなった民間人は80万人にも達し、その方々の慰霊は今なお十分に行われているとはいえないので、国がそうした施設も造るよう、協和協会に運動してもらいたいとの要請があり、執行部ももっともと思い、役所との折衝に入った。その際、毎年8月15日に東京の日本武道館で開催される「全国戦没者慰霊祭」が、戦後60年以上も経ち、御遺族を集めるのも大変で、この日、たった一日2時間の式典のために、非常に大きな費用がかかるとの情報も入った。そこで、当財団執行部は、毎年、武道館でのこの慰霊祭を、常設の施設とするべく、政府へ働きかけることにした。
 そして、上田理事長と清原常務(共に当時)が、担当省庁を訪れ、大臣にそうした陳情を行った。その際、じっと聞いておられた大臣は、結論的に、国で造るのは政治的にむずかしく時間がかかるので、まずは協和協会で進められてはどうか、との御意向があり、そこで、この件を、評議員会、理事会を開いて検討した結果、全会一致で、この事業を当財団が推進することに決した。
 そこで、当財団では、上田稔理事長と清原淳平常務理事が中心となり、東京都、神奈川県、山梨県、静岡県などの山々を視察して歩いた。その数は30カ所を超えた。その中から結局、眼下に河口湖が開け、正面に富士山の見える場所を選定し、櫻内会長、小玉理事も視察されてよかろうということで、推進することになり、小玉理事もそのための費用を含め、財団の活動全体に多額の賛助金を提供くださった。しかし、土地買収の作業を進めていくうちに、それまでまとめ役を買って出てくれていた大地主の町会議員が、自分の土地を時価の10倍で買ってほしいと言い出し、一年近く交渉したが妥協しないので、当財団執行部は協議の結果、この土地を断念し、新たな土地を探すことになった。
 そこで、上田理事長と清原常務は、また山歩きをし、今度は静岡県蒲原町の裏山で、後ろに富士山、前に駿河湾が見える土地を見つけ、町側との折衝に入った。この時も、櫻内会長、小玉理事は視察に行かれ、立地についての御承諾があった。この時も、当初は順調に進んだが、町長が選挙事情から自民党から民主党に鞍替えしたことなどもあり、やや積極性が欠けてきた。そうした折の春、小泉純一郎内閣総理大臣が靖国神社に参拝したことから、中国や韓国が反発し、また、一部新聞が、「政府は靖国代替施設を造る予定」と誤報したことから、いわゆる靖国派が反発し、事態は混乱した。
 当財団の主張は、平成10年印刷の「鎮魂と平和の苑」の趣意書でも明らかであり、その後、政府へ提出した要請書でも明らかである。さらに、当方の趣旨は、平成12年12月、総理官邸で福田康夫内閣官房長官と面談した時も資料とともに説明しており、また、福田内閣官房長官が造られた諮問機関「平和懇」の会長(元経団連会長)にもお目にかかって、御説明している。
 こうして、当協会の「鎮魂と平和の苑」事業は、当時の櫻内会長・上田理事長を中心に熱心に進められたのであり、政府や「平和懇」へも進言してあるので、この問題は、平成14年の初頭に、櫻内会長の「政府へ申し上げるだけの事は申し上げたので、政府の措置待ちとし、静観しよう」との意向に基づき、現在静観している、という状況である。
〇専門家
 重要事項であるため、理事会・評議員会にて活動方針を審議している。
〇内容の公表
 先述した政府宛要請書は、当団体ホームページにて公表している。
〇具体的な活動実績
 平成10年に趣意書、平成16年、平成17年には政府宛要請書を提出している。

「鎮魂と平和の苑」推進委員会起案の要請書
平成17年1月7日(部会作成第2号・協会通算121本目)
国・社会・他人のため一身を捧げた方々を慰霊する「鎮魂施設」を設けていただきたき要請 要旨へ

平成16年1月13日(部会作成第1号・協会通算115本目)
『国立の戦没者追悼・平和祈念施設』を
建設することを必要とする論拠
要旨へ

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