安全保障部会作成要請書第18本目、政府宛提出要請書46本目、平成2年12月提出
「中東貢献策」は、問題の本質・原理に立ち帰って対処されると共に、危機管理体制を早急に整備いただきたき要請

【要請書全文】

要 請 の 趣 旨

 国連安保理事会の決議に基づく多国籍軍のイラク封鎖に関連し、いま日本の中東貢献策が世界の注目を集めております。政府は、現在のところ、日本国憲法第九条を理由に軍事的協力はせず、間接的な経済協力を主とし、また、国連平和協力法を制定して輸送、資機材の維持補修、医療・衛生などの分野で協力する方針を打ち出しております。
 これは、9月29日の海部・ブッシュ両首脳会談でも合意され、日本は当面の急場を凌いだ形ですが、しかし、この問題は、単にアメリカの了解を得られたからそれで良いというだけではなく、私どもは、日本の独立国としての立場、国際社会の一員としての立場、米ソ和解後の新体制での将来の発言権等々の面で、政府のなお一層の施策を要望するものであります。
 わが国は、敗戦後の打ちひしがれた占頷下で現在の憲法を制定させられ、その後の政治情勢から憲法を改正することもできず、時代に合わない憲法を解釈で補ってともかく運営してきた努力はたいへんなことでありましたが、明治政府が江戸幕府の締結した不平等条約の改定にどれだけ心血を注ぎ国民をリードしたかを思うとき、軍事権・外交権を制約され、国家緊急事態対処規定もない現行憲法は独立国として相応しいものではなく、その結果、今回のような国際情況下で、国連の世界平和を維持する安全保障機能に直接的貢献もできず、国際社会の責任ある一員として疑問を持たれたことは、まことに悲しむべきことであります。また、それは同時に、米ソ和解に始まる今後の新国際社会に、日本がどれだけの発言権を確保できるのか極めて心配なところであります。
 したがって、政府は、当面の急場を凌いだことに安心されることなく、独立国の衿持として、日本国の本当の在り方を本質から検討され、過去、国会答弁などで野党に言わされてきた誤った見解を修正するなど、思い切った御措置をとっていただきたく、また、一般に独立国の憲法にある国家緊急事態対処規定を日本国憲法にも規定することをはじめ、今回のイラク問題での対応遅延をよい機会に、危機管理体制を早急に整備していただきたく、切に要請する次第であります。論旨の詳細は、以下「要請の理由」をご覧下さいますよう。


要 請 の 理 由

一、進行中の新しい国際秩序から孤児にならないために御決断を!
 資源に乏しく、貿易で国の存立と繁栄を図らねばならない日本としては、国際協調が第一であり、その国際協調の具体策はまず国際連合への積極的協力であります。
 また、平和・安定は単に腕を拱いていて得られるものではなく、平和・安定を維持するためには、常にそのための努力を必要とすることは、個人の日常生活におけるはもちろん、歴史上、国家興亡の変遷を見ても明らかであります。
 社会や国際社会においては、人間の闘争本能が災いしてか、何時の世においても、暴虐の徒の出現は避けられず、これらに対抗するには、良識ある人々(国々)が結束して当たることが不可欠であることも亦、歴史の教えるところであります。
 国際社会において、こうした原理を実効あらしめるために生まれたのが国連であり、これを具体化するのが、安全保障理事会を中心とする平和維持の機構・活動であります。
 したがって、今回、イラクが理不尽にもクウェートを強引に制圧したことに対して、国連の安全保障理事会がイラク制裁の決議をし、これにもとづき、国際社会が多国籍軍を組織して現実に兵力を展開し軍艦を派遣して、やむをえぬときは血を流してでも、暴虐に対する平和維持の機能を果たそうとしているわけであります。
 かかる情況のとき、わが国が、経済協力以外大したこともできない、というのであれば、日ごろ「世界に貢献する日本」などと胸を張ってみても虚しい限りであり、日本は果たして独立国と言えるのか、国際社会の一員どころか半人前でしかないのではないか、と侮りを受けることになりましょう。
 さらに、以前と違い、米ソの和解が進行し、いま国際社会は新しい秩序づくりへと向かっており、この中東貢献がその試金石となっているとき、日本は、その新しい船に乗り遅れつつあると言え、下手をすれば、世界の孤児ともなりかねない情況にあります。
 こうした一般情勢を踏まえ、以下の当団体見解を参考にしていただきたいと思います。

二、真の独立国であれば、自衛隊の海外派兵が可能であることの論拠
 政府は、わが国が、世界の経済大国でありながら、他の諸国と同じように、国連決議に従って海外派兵か出来ないことの理由としては、現行憲法第九条による制約を上げておりますが、それは、これまで数十年にわたり、国会論議において政府が野党の誤った論理に屈して、国としての本質を見誤った憲法解釈をしてきたことにあり、いま、こうして、国際社会に矛盾が露呈した以上、この誤った憲法解釈を修正すべきであると思います。
 私どもは、以下の理由によって、わが国が真の独立国であれば、自衛隊の海外派兵も可能であると考えます。

 (一)世界的に活動している日本にとって、自衛力の行使を余りに狭く限定すべきではない。  占領下にマッカーサーの指導の下に作られた現行憲法は、その前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」といい、また、第九条は"戦力の不保持、陸海空軍の不保持、交戦権の否定"を謳っておりますが、これは、戦前にマッカーサーが統治していたアメリカの植民地フィリピンの憲法に通ずるものがあり、学者は、これを外交権と軍事権を他国に委ねた「半独立国憲法」と呼んでおります。
 本来、こうした憲法は、昭和27年の独立後、改正されるべきであったのですが、国民の感情的な軍備嫌悪感や野党の禁欲的な平和主義により改正できないため、政府は、日本も独立した以上、国として当然、自衛権・自衛力は認められる筈として、軍とはいわず自衛隊といって、辛うじて独立国の要件を確保したのです。これは、当時の政府の正しい見識というべきです。
 しかし、政府は、そこまで要件を整えながら、野党の「自衛権・自衛力の行使は、日本の領土・領海・領空に限るべきだ」「したがって海外派兵はその限度を越え許されない」などの主張に屈して、「武力行使の目的をもって武装した部隊を、他国の領土・領海・領空に派遣することは、一般に自衛のための必要最小限を超えるものであって、憲法上許されない」(昭五五・一〇・ニ八政府答弁)と狭く表明してしまったことは残念なことです。
 今日の社会はグローバル(地球規模)化しており、またわが国は経済大国として海外に活躍する日本人も多く、資源や食糧を外国に依存するわが国は特に、自国の領土・領海・領空内だけでは生存できません。したがって、国益とともに自衛権・自衛力の行使は、物理的にそうした狭い領域に限定すべきではなく、その実益をみて柔軟に対応するべきであります。
 また、そう解釈しても、憲法第九条は、侵略戦争は許されないが、独立国である以上、自衛のための武力の行使は許されると解せられ、侵略戦争を許さない憲法上の歯止めがある以上、自衛力の行使を広く解釈しても不都合があるとは思えません。

(二)日本も国際社会の一員である以上、国連の決議に基づく制裁戦争は可能である。
 諸国の憲法も、多くは侵略戦争を禁ずる規定を置いております。しかしその反面、自衛戦争ばかりではなく、制裁戦争も可能とするのが世界の多教説です。また、国連憲章は、平和的手段による紛争解決を理想としながらも、平和の破壊および侵略行為に対して、国際平和の維持または回復のため、必要な軍事行動を取りうることを認めており、しかも、その場合の軍事力は、平和的手段では解決ができないとき、やむえず発動されるものであって、したがって軍事力は、必ずしも平和に対する脅威とばかり考えるべきではなく、平和を維持し、平和を回復するための手段でもあることを、日本人もこの際、世界の常識に従ってしっかりと認識するべきであります。
 特に今回のイラク問題は、安全保障理事会か侵略を認定した上での国際正義に立つ刺戟行動でありますし、日本も独立国というのならば、他国と同じく制裁行動も認められると解せられ、さらに、日本国憲法の前文には、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を、地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と規定して、目際社会への積極的協力姿勢を謳っているのですから、この規定に基づき、日本も国連に加盟している以上、国連決議に基づくイラク制裁に堂々と参加することができるはずであり、また、参加するべきであります。

(三)集団安全保障時代に、個別的自衛権に固執するのはナンセンス。
 さらに、政府は、国会論戦で、野党の論法に押されて、自衛権に個別的自衛権と集団的自衛権の峻別を認め、わが国は第九条の趣旨から個別的自衛権は認められるが、集団的自衛権は行使できない、といった政府見解を発表しておりますか、これはまことにおかしなことであります。
 この見解はシーレーン防衛論争でも見られたむのですが、これによれば、日本か攻撃されたときは、日米安全保障条約によってアメリカ軍が助けにきてくれるが、もしアメリカ軍が日本の領土・領海・領空の外で攻撃された場合は、自衛隊はアメリカ軍を支援できないことになり、そうした片務条約は果たして独立国間の条約といえるのか、アメリカ兵が日本のために血を流すのに、日本はアメリカのために血を流そうとしないという仕組みでは、いざというとき、アメリカは本当に日本を助けに来るであろうか、問題になったところです。
 思うに、安全保障は、たとえアメリカやソ連のような大国でも、もはや一国で自衛・防衛できるという時代ではなく、それだからこそ冷戦時代に、西側はNATO、東側はワルシャワ条約機構で対抗したので、大体、自衛権を個別的と集団的とに峻別することがおかしく、自衛力・自衛権は当然、集回性をも含めて考えなければ成り立たないものであります。
 それを、いかに野党の攻勢を恐れたとはいえ、わが国の自衛権を、個別的自衛権に限定し、集団的自衛権の行使を否認しだことは、政府の失策というべく、こうしたおかしな論理は、改めるに憚ること勿れで、政府は早々に撤回するべきであります。

(四)丸腰の自衛官派遣は、世界の笑い者になる。
 政府はいま、中東貢献策で苦慮し、これまでの政府の憲法解釈や国会答弁から、仮に国連平和協力法を作るとしても、あまり積極的な内容はなく、せいぜい丸腰の自衛官や医務官を派遣するにとどまり、主として間接的な経済協力しかないとお考えのようですが、国際社会は、それならば百億ドル位のお金を出せ、との話も出てきているようで、巨額のお金もすべて国民の税金であり気前よく出すのもどうかと思われ、また、もし中東で実際に流血事件が発生すれば、日本がいくらお金を出しても、国際社会から非難されることは免れません。
 また、後方支援活動には丸腰の自衛官を派遣するなどの意見もありますが、丸腰の自衛官を派遣することは却って世界の笑い者にされかねず、また、後方支援に丸腰の自衛官をという発想もおかしなことで、近代戦において、相手側の輸送・兵站など後方基地を叩くことが最も効果的であることは、戦略・戦術上の常識であります。したがって、政府は、後方支援であっても、ゲリラなどの攻撃から自衛するに足るだけの武装をさせるべきであります。
 また、日本が、お金ですまそうとしたり、丸腰の自衛官を派遣する程度では、前述したように、米ソの和解がなって、いま国際社会が新しい秩序を作ろうとしているとき、世界から軽蔑され侮られ、新しい国際秩序の中で発言権を失い、下手をすれば国際社会の孤児ともなりかねませんので、この点も十分認識されて対処下さるようお願いいたします。

三、危機管理体制を早急に整備いただきたく
 今回の中東情勢に対しては、諸外国がかなり早期に対応を決めたのに比べ、わが国の対応の遅さが内外から指摘されました。これは、わが国の危機管理体制が不備であるためであり、このことはこれまでのミグ25函館不法着陸事件、大韓航空機撃墜事件、あるいはまた、イラン・イラク戦争時のペルシャ湾での護衛をどうするか検討された際にも、問題になったところでありますが、そのつど、残念ながら「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の暫えどおり、十分な対策のなされないまま今日に至ってしまいました。
 緊急事態に対する対処の遅れは、時として致命的となる場合があります。そのため、危機管理体制は本来、平素、十分に時間的余裕がある時に、イザという場合を想定して、対応を整備しておくべきでありましたが、政府は、今回の中東情勢をよい機会に、今度こそ、危機管理体制を整備していただきたいと思います。
 東西の緊張が解け、大戦争の恐れは遠のきましたが、かえって世界はどこで何か起こるか分からない状態であり、また、グローバル化しか国際関係は、地球のどこで起きる紛争にも無関係では済まされない時代になっており、とりわけ貿易で生活するわが国は、世界のどこで起きる紛争にも影響を受ける立場にあります。そうした情勢を踏まえ、政府は、早急に、危機管理法制を整備し、また、これに基づいて、平素から継続的に、事態に即応してそれを活用し慣熟しておく体制を、整えていただきたいものであります。
 なお、整備されるべき国家危機管理体制は、次の諸点を考慮していただきたいと思います。

 (A)国家非常の場合の「国家としての情勢判断、意思決定、指揮・命令の手続き、機能」を国家の中枢に機構として整えておくこと。(現在の「安全保障会議」をより充実・機能化して活用することでも可)

 (B)情報の収集、分析・評価の機能を充実、一元化し、国家危機に至る以前からの政策・措置に誤り無きを期すための連続的情勢判断の能力を育てておくこと。

 (C) 一旦、国家危機と判断される事態に立ち至った場合、あるいは、実際に緊急非常事態が発生した場合において、遅滞なく適切な判断・決心の出来る「非常事態措置基準(仮称)」の如きものを、その時々の情勢に応じ、事態ごとに予め拡幅しておくこと。

 (D)前項の「非常事態措置基準(仮称)」に実際に行動する団体又は部隊等が必要である場合は、必要とされる規模・能力に応じ、その組織・編成を考慮し、国家・地方公務員(自衛隊を含む)の所要のところに任務を割当て、必要な装備を整えさせ、日ごろから訓練させておくこと。
 以上申し上げた中で、「国家としての意思決定とそれを実行に移す場合の手続き」こそ、近代国家においても最も重視されているものであり、各国が遭遇した多くの試練の中で試行錯誤を繰り返しながら築き上げてきたものだけに、それぞれの国情に合ったノーハウか含まれており、わが国の危機管理システムについても、単に外国の危機管理制度を真似るというわけにはいかないものでありますだけに、政府は一目も早く、国家危機管理機構を検討・整備され、また、それに基づいて平素から、各種事態に即応できるその活用方法を考え、また、そうした事態に関係する人々の選別範囲を決め、時折り、その訓練を実施しておかれますよう切に要望する次第であります。

四、真の独立国家としての体制の確立を
 現下の情勢に処する差し当たりの措置について、以上のとおり申し上げましたが、すでに触れて参りましたように、根底には憲法問題かあります。平和国家であるためにも、平和を侵害する暴力に対抗出来る「戦力の保持」や、国家の緊急事態に対処する「非常時規定」等、真の独立国家としての基本事項が憲法に欠落している不合理は、今後の国家施策の遂行に重大な支障を来す恐れがあります。したがって、政府は、この際、万難を排し、腰を据えて、憲法改正問題も含め、以上のような国家の根本問題につき再検討されて、今回の中東情勢、ならびに今後も起こるべき重大時局を克服されますよう、切にお願い申し上げてこの要請書の結びといたします。     

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