教育部会作成要請書第16本目、政府宛提出要請書30本目、昭和62年8月提出
教育基本法を改正すべく審議会を設置いただきたき要請

【要請書全文】

  要 請 の 趣 旨

 教育基本法は、教育法規全般にわたる憲法ともいえますが、その大切な教育基本法が、敗戦直後の占頷下で占領軍の要求によって作られ、その後、国民の手で一度も改正されていないことは、周知のとおりであり、また、その記載内容の不備が、今日の学校教育の混乱・荒廃を引き起こしている根本原因であると考えられます。
 世間の一部には、占領下でも内容がよければ改正する必要がないなどという主張もありますが、これが、占側軍の、日本民主化への好意ばかりではなく、日本弱体化政策の一環として作られたことは、当時のアメリカ側の占領政策資料からも明らかであります。また、同じ敗戦国の西ドイツが、占領軍の要求に対し、教育についてはアメリカよりもずっと先輩であると主張して、ついに教育法の改定や教育基本法の制定を拒否したことを考えるとき、当時の日本の態度は遺憾の極みで、少なくとも、昭和27年の独立後は、国民みずからの手で再検討すべきであったと申せましょう。先頃の臨時教育審議会が、一部の政治的圧力により、初めから教育 基本法は改正せず、としたことは改革の本質を見失ったものとして、誠に残念なことです。
 私たちは、決して戦時中の軍国主義教育が良いなどとは考えてもおりませんが、現行の教育基本法を検討してみて、美辞麗句を連ねておりますが、内容的には、日本の良き伝統をすべて捨て去り、いたずらに個人主義的価値観を賛美するあまり、家族、郷土、社会、国家への価値観は見られず、教育の精神的・哲学的バックボーンが感じられないところに、やはり占領軍の日本弱体化政策の臭いを強く感じます。基本法には、その作られた動機とともに、その拠って立つ精神的バックボーンが必要と考えます。
 そうしたことから、私たちは、現行教育基本法の見直しを検討してきておりますが、私どもの試案はともかく、上述の観点からも、まずは政府において「教育基本法を改正すべく、審議会を設置」いただきたく、ここに要請いたす次第であります。


   要 請 の 理 由


一、およそ、世界各国では、それぞれ自国の国民意識の育成や国民性の涵養に努め、積極的に教育のバックボーンや教育目的を掲げているのに、わが国の現行教育基本法は、あまりにも一般的・普遍的・抽象的にすぎ、教育のバックボーンが感じられない。

二、「個と全体との関係」を教えることも、教育の基本原理の一つである。しかるに現行教育基本法は、個人主義を教えることに熱心なあまり、社会生活の反面としての、家族との融和、友達との友愛、郷土を愛する心、他人への責任感、社会との協調、国家への義務感など、そうした「個と全体との関係」について触れておらず、教育原理から見ても片手落ちである。

三、現行教育基本法には、「個人の尊厳を重んじ」とか「個人の価値をたっとび」とか「自主的精神に充ちた」 とか、「自発的精神を養い」などの抽象的な言葉が並んでいるが、これらの教育的・哲学的意義が明確にされないため、児童・生徒にへつらい自ら友達付き合いを求める教員を生じ、また、やりたい放題・したい放題やるのが自主性であると思い違いする児童・生徒を大量に生み出し、教育荒廃の大きな原因を作っている。

四、いずれの国でも、歴史の古い国ほど、民族性や伝統・文化が形作られるのは当然のことである。文明先進諸国では当然のこととして、良き伝統を教育へ取り入れている。しかるに、現行教育基本法は、日本弱体化の占領政策にもとづき、日本の良き伝統さえ排除しており、そのため、美辞麗句は並べているが、魂(たましい──バックボーン)が感じられず、したがって教育現場でも、教育基本法を抽象的な『お題目』としか受け取らず、これが、わが国に「無国籍教育」「無目的教育」をはびこらせる原因になっている。

五、教育の中立性とは、政治権力が不当に教育に関与してはならないとの趣旨であり、教育から、民族の伝統や国家としての教育理念を排除して、無国籍・無目的教育、あるいはバックボーンのない教育、自己中心的教育を行うことを意味するものではない。
 先進諸国でも、自由主義体制、社会主義体制を問わず、自国の主義・理想を教育の中に取り込んでいる。
 その点で、わが国では「教育の中立性」を誤って受け取っていることは、まことに嘆かわしいことである。
 以上の諸理由からも、政府は、打ち続く教育荒廃を一日も早く是正するため、早急に「教育基本法を見直すための審議会」(仮称)を設置し、検討されるよう、ここに要請する。

ページのトップへ 要請書の全文をお読みになるには 要請書一覧へ