教育部会作成要請書第10本目、政府宛提出要請書24本目、昭和60年12月提出
大学をはじめとする高等教育の在り方についての問題提起と改革の端緒

【要請書全文】

    前 書 き

 ○ 戦前の概観

 我が国の学校教育は、明治5年、学制の施行により小学校が発足して以来、十余年にして大学までの一応の制度が完成し、他方において私学の発生も逐次多くなり、官学に対しそれぞれの特色を以て学風を競い、数十年の短期間に、世界に比類無き発展を遂げ、巷に文盲無からしむるのみならず、一般国民の文化・教養の水準も極めて高度に達したのである。
 当時、維新後日尚浅き日本は、その教学において、「西洋に追いつけ追い越せ」の日夜に明け暮れ、 一応大学までの学校教育制度は完成したものの、近代日本の指導層の賛成をはじめ、国民教育の向かうべき指針については、ややもすれば之を見失う知育偏重に陥る危険を生じた。
 東京帝国大学は、創立の当初は、理学と医学の比重が大きかったが、やがて法律科を中心として、立憲政体移行後の指導的政権担当者または公務員(官僚)の養成を主眼とし、ローマ法を継受せるドイツ法の学統を専らとせるに対し、他の官立・私立の各大学は、或いは英法、仏法の学統を以て之に対抗し、或いは法哲学や法制史学等の基礎法学に力を入れ、或いは経済、商業等の財界指導者の賛成を志す等、極めて多彩に、日本の近代化に適応した旺盛なる教学を展開したのであるが、当時の東京大学を親しく巡閲された明治天皇は、明治19年、侍講元田永孚を召され、「今日の大学を視るに、理科、医学、法科、工科等の学科は一応整ってきたが、教育の主体とする所の修身の学科は見られぬ。修身の教学については和・漢の学が重要と思うが、これを固陋なりとする者がある。しかし、それは教育する者のいかんによるのであって、和・漢の学そのものの問題ではない。大学にして今見る如くならば、将来、国家に須要なる人物は決して得られぬであろう。」との仰せがあった。(東京帝国大学五十年史上巻「聖諭記」)
 明治23年11月29日に大日本帝国憲法が施行されて立憲政体に入ったが、これに先立ち同年10月30日、「教育勅語」が渙発されたのは、実にかかる教学上の重大な憂慮の為であった。
 旧制大学の大学令第一条には、大学は「学術の薀奥を究め、国家に須要なる人物を養成する」所であると明示されていた。而して、官・私学共、ドイツを中心とするヨーロッパ式の、研究専門の機関たることを大学の本質とし、大学教授はすべて専門学の研究者であり、学生に対する講義もまた、この専門の研究を指導層の育成に役立てることを目的としたのであって、特に大学生を「学生」と呼称したのも、Student(研究者)の訳語に他ならなかったのである。
 しかし、やがて時代の推移と共に私学も官学に準じて、官僚の高等試験の予備校化する傾向を加えたが、なお、大学は専門科目の研究及び教授を為す研究機関と見なされてきたし、種々の専門科目につき特色を発揮する大学も相次いで進出した。

 ○ 戦後の概観

 今次敗戦後、占領政策として、戦前の学校教育制度と内容とは根本的に変革され、大学も米国式に一般高等教育機関たることを主とすることとなり、中学・高校の大衆化と共に大学も大衆化されたが、大学の存在意義や目的が必ずしも明確にされぬまま、新しい6・3制に移行した。その為、徒らに形式的学歴を逐う世相を生み、表面上進学率が著しく増大したとは云え、その実質的内容は著しく低下し、大学は、むしろ単に最高学歴を希求する父兄群を生み、学習意欲の希薄な青少年を徒らに拘束して貴重な修業時代の青春を封殺し、その影響は次第に下級学校に浸透して、夢も理想も失った青少年の中には、登校拒否、非行暴力に走る者が少なくない。日本の将来を担うべき青少年教育は、未曾有の重大危機に直面している。
 一般に学校教育が、最も大切な人間の「育」を忘れて知識や技術の「教」にのみ偏り、その結果、終にはその「教」さえも真剣味を欠き、テスト成績を主とする形骸化した教育に陥っている。
 かかる概観の下に、先ず学校教育の頂点たる大学について、その存在意義を抜本的に検討し、更に、将来の世の趨勢に適応した高等教育全般の在り方や諸制度の検討に入るべきであろう。
 ここにおいて、臨時教育審議会をはじめ一般国民に対し、次の高等教育等の改革の諸項目を提示して参考に供し、以て秩序立った教育改革の考究を望むものである。

    提示する項目

(一)大学の在り方について。
   従来の大学の在り方については、
    一、専門学科の研究機関を主とする旧制大学の様な在り方。
    二、戦後の一般大学の様に、一般高等教育を主とする在り方。
      があったが、また、一、二、とは別に、
    三、アカデミー的な専門研究機関及びこれに付置すべき研究員養成
      機関の設置。が考えられる。
      その他、検討すべき事項は、
    一、現行の「教職課程」を一般大学の中に存続する事の可否。
    二、今日開始された放送大学や、既存の芸術大学、体育大学、短期大学等を一律に「大学」
      の学制の下に統括することが適当かどうか。
(二)高等教育等の自由化について。
    一、今日においては、むしろ思い切って、一般高等教育を主とする
      現在の大学を含む高等教育、並びに後期中等教育(高校)の自由
      化に踏み切るべきであろう。設置基準を大幅に緩和し、「大学」
      等の名称も自由化して公・私の自由な創意工夫を生かし、各校の
      建学の精神や伝統を尊重して、教育の活性化、産・学の協力を図
      るべきであろう。
    二、但し、「教育の自由化」はこれらの高等教育に限定し、反面、義
      務教育については、国民としての基礎教育であるから、少なくも
      成人式当時には一定水準に達することを目標として、政府は責任
      を以て教育方針を確立し、教員の養成、一部の科目につき国定教
      科書を採用する等、教育秩序を正す必要がある。
    三、「個性尊重」の要望についても、右の高等教育等の自由化と、
      これに伴って義務教育が受験準備の拘束を脱して国民教育の本来
      の姿に立ち帰ることにより、学校教育全般にわたり、年齢や児童
      生徒の特質に応じ、留年、飛び級、履修科目等につき弾力的に対
      応し工夫する道が開かれよう。
(三)高等教育等の自由化の効果及び国家試験の再検討について。
    一、高等教育等の自由化の効果。
      1 有名無実の学士号の撤廃
      2 国及び地方自治体の負担する無用の施設、人件費等の節減
      3 学歴偏重に起因する受験準備からの解放による義務教育の
        正常健全化
      4 受験塾学習の激烈化による幼少年の心身に対する過重負担
        と父兄の教育費の大幅軽減
    二、高等教育がまた、各種国家試験の予備校化せる現状を考慮し、
      高等教育の自由化と、それによる青少年の創造力の活発化を促す
      為に、多くの国家試験を整理検討する必要がある。医薬、土木建
      築、法務、税財務等の如く、国民生活の安寧と安全対策の為に国
      家試験を必要とするものもあるが、この場合においても強制力を
      極力必要最小限度に止めて、今日見る如き広範な許認可制による
      「積極的規制」を大幅に再検討し、公序良俗に反しない限り、真の
      能力や創意工夫の発揮を阻害抑圧しない配慮が必要であろう。
      むしろ、実害を生じた場合の行政罰乃至刑事罰の励行による「消極
      的規制」に重点を置きかえるべきではないか。
 (四)改革の端緒について。
   右の方針を可とする場合、その端緒を如何にして開くか。
    一、「教育民主化」の大旗の下に、特に高等教育に関する法制を大幅
      に縮小する。
    二、実社会においては、憲法上の『職業選択の自由』を尊重し、中卒、
      高卒の積極的採用と、事業体の中における実践的実地教育や、民
      間社会の一般教育に力を入れ、学歴偏重から脱皮し、社会教育の
      役割の重要性を高める。

        結 語

 以上の抜本的改革を遂行する為には、政府の一大決意と共に、民間一般の教育に関する認識、積極的な協力並びに旺盛なる創意工夫の推進を必要とする。
 本会としては、この大方針の下に今後更に順を追って具体的項目を捉え、研究討議の上、提言を重ねて行く予定である。    

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