安全保障部会作成要請書第6本目、政府宛提出要請書12本目、昭和58年8月提出
防衛計画大綱の早期達成と見直しの要請

【要請書全文】

      経過概要と要請の趣旨

 防衛計画大綱は、昭和51年(1976年)10月、国防会議および閣議において決定されたもので、その内容は、防衛力を、量的にはほぼ四次防終了時のものとし、質的には相当の向上をはかるものとして、それに要する防衛費は、GNP1%の枠を超えない、としたものである。
 この大綱においては、世界情勢を「大規模な武力紛争の起こる可能性は少ない。わが国への本格的侵略の可能性も少ない」というように、極めて安易かつ楽観的にとらえ、わが国の目標防衛力の規模を、「小規模限定的な侵略に対処し得る」程度のものとした。
 しかし、これらの認識は、年月の経過と情勢の変化により、「非現実的」となっており、防衛計画大綱は再検討の時期に来ている。
 政府は近年、大綱所定の防衛力を、早期に整備する方針である旨、しばしば内外に言明されているが、当会としても、当面、この防衛計画大綱に基づき、防衛力の実質的整備を充実せしめるこの政府方針を支持するものである。
 しかし、それとともに、この当初防衛計画大綱が、上述したように、すでに「非現実的」となっている以上、以下の理由からも、政府はこの際、防衛計画大綱を根本から見直して、真に世界の情勢に合致した、新しい防衛計画大綱を作る作業に早急に取り組まれるよう、ここに、要請する次第である。


      要 請 の 理 由

1、昭和51年(1976年)10月、国防会議および閣議で、防衛計画大綱が決定された当時の国際情勢は、世界的な米ソのデタント風潮の時期であって、冒頭に掲げたような安易かつ楽観的な見方も成り立ち得たが、その後、ソ連が軍備増強に奔り、強大な軍事力を誇っている今日、世界の情勢は、もはやこうした楽観的な見地では、対処しえなくなっている。

2、国内情勢においても、当時は、保革伯仲の時代であり、またロッキード事件が起こるなどして、左翼勢力の反対も強く、そうした情況下では、あの程度の防衛計画大綱でもやむなしとも言えるが、その後、国内情勢もかなり変わってきている。また、国民も、ソ連軍のアフガニスタン侵攻、ソルジェニーツィンの亡命、ポーランド事件、ソ連軍の北方領土基地強化等で、国防に対する認識がかなり変わってきている。

3、最近、米国防総省より、「日本の防衛計画大綱は、時代おくれである」との指摘があった旨、報道されているが、米国が、今の防衛計画大綱に少なからぬ不満を抱いていることは明らかであり、米側の不満をこれ以上放置することは、万一の場合における日本の防衛に支障となりかねない。

4、世界の軍事情勢からみて、わが国の独立と安全は、米国・西側諸国と連帯して自国の責任分担をも果たし、万一に備えるとともに、共同してソ連を軍縮のテーブルにつかせることである。その点で、総理が、先般の日米首脳会談や先進国首脳会議で、世界情勢の認識において共通の場に立たれ、わが国が西側諸国の一員として防衛力整備に努める旨発言されたことは、まことに当を得たことで敬服に堪えない。それにつけても、わが国がこうした約束を守るためにも、すでに現実の情勢から遊離した大綱は、この際、早急に見直すべきである。

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