平成28年4月27日(水)

新聞は経済社会をどう変えて来たか!

太田宏先生

太田宏先生

讀賣新聞大阪本社最高顧問、
元大阪本社・西部本社社長



概要

新聞は、テレビと違い、監督官庁もなければ、株式も公開していないので、自由な独自の意見を示すことが出来る。私の経済記者時代の経験談をいくつか挙げると、(1)昭和52年に福田内閣は「消費税導入試案」を発表した。讀賣以外の各紙は絶対反対で、経営上の危機にまで陥ったが、今消費税の導入が誤っていたという人は誰もいない。(2)戦後、GHQは財閥解体を目的に、独占禁止法により持ち株会社を規制した。規制の条件は国内シェアであった。しかし、グローバル化の時代にそんなことにこだわっていては意味がないと、讀賣はホールディングカンパニー化を主張した。守旧派学者の抵抗は強かったが、今や日本はホールディングカンパニーだらけである。(3)平成元年にバブルが崩壊し、大型銀行が倒産、讀賣以外の新聞は銀行悪玉論を唱え、公的資金投入反対の論調であった。これに対し讀賣は、このままでは金融恐慌が起きるとの危機感から、公的資金投入すべしとの論調を張った。結局公的資金の投入によって事態は沈静性化し、投入された資金は利子がついて国庫に戻った。(4)バブル崩壊後は、デフレが続き、金融緩和を行うとハイパーインフレが起きるという論調が一般的であった。平成10年当時私は経済部長であったが、参議院選挙を控えた自民党の加藤紘一幹事長が電話をかけてきた。おそらくこのままでは負けるとの危機感を感じ、打開策を模索していたのだろう。その時私は、インフレターゲットを主張した。この時は実現せず、橋本内閣は総辞職したが、15年後にアベノミクスとして実現した。いまや一国だけでは経済政策の政界が見つからない時代となっている。これからも、30年後の検証に耐えられる社論をモットーに時代の先を見据えた論調を伝えて行きたいと考えている。

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