平成28年1月19日(火) |
新春懇親会 ──安倍内閣で日本躍進を!── |
年頭挨拶
岸 信夫会長代行
衆議院議員・衆議院外交委員長
皆様、新年あけましておめでとうございます。今年は1月4日から国会が開会いたしまして、冒頭、議長から外務委員長の職を拝命いたしました。大変な重職で、身の引き締まる思いをしておりますけれども、何といっても我が国をとりまく周辺環境も大変緊迫した状況になっておるわけであります。そうした中で、外交について立法府において議論をしていく、こういう場を司る者として、国益を増進するために、頑張ってまいりたいと思っておるところでございます。昨年も激動する一年でした。国会のことで申し上げれば、95日間という異例の長期の延長を経て、平和安全法制というものが成立をしたわけでございます。国際社会の中でいかに貢献していくか、そして我が国の安全、安心、安定につなげていくか、ということで、たいへん重要な法整備だったと思います。安倍政権のひとつの大きな成果でありますし、諸外国、特に東南アジアの国々から、高い評価を得ております。これはやはり、戦後70年という長い歴史において我が国が復興し、そして国際社会に対して貢献をしていく、とくにODA等を通じてアジアの国々の発展を促していった。その中で、信頼関係が醸成されて行った。その賜物であろうと思っているわけであります。昨年から引き続いてISによるテロが世界各地で多発しております。イランとサウジの国交断絶。あるいは北朝鮮の核実験と、続いたわけであります。それに加えて我が国の抱える外交上の諸問題、例えば拉致問題、TPPなどもあり、そういう意味では、今年も大変重要な年になると考えており、しっかり日本のために働いてまいりたいと思っているところであります。当会の皆様におかれましても、平素より我が国の将来のために様々な取り組みをしていただいておりますことに、心より感謝を申し上げる次第であります。(拍手)
乾杯の挨拶と音頭
清水明夫(公財)協和協会監事、元国税庁長官官房監督官
私は、昨年の6月ごろ肺炎になりました。食欲もなく、92歳だから、もういいかな、と思っていました。そんな時に、娘が来まして、「お父さん、どんないい車でもガソリンを入れないと走りませんよ」と言うんですね。これでハッとしましたね。まずくても何でもとにかく食事を採って、食べることを心掛けました。そして、入院せずに治しました。人間ってね、生きていることがどれくらい幸せかってことを、その病気からしみじみ考えました。今年は年賀状を600枚出しましたが、死んじゃったら、年賀状も何も出しようがないし、見られない。生きていれば可能ですね。是非皆さんには、今年も健康に留意されて、幸せな1年を過ごされますようお祈りして、乾杯の音頭を取らさせていただきます。御唱和下さい。乾杯! (大きな拍手)
総合司会・議事進行
清原淳平専務理事
清原が、岸信介元総理から、協和協会の常務理事兼事務局長を委嘱されたのが昭和53年11月で、姉妹団体、時代を刷新する会の専務理事を委嘱されたのが昭和56年10月。
いまでは、最も古い会員で経過も分かっていることから、司会進行を務めさせていただいている。まず、安倍晋三先生からの祝電を読み上げ披露し、この写真報告の順に、例年のように議事進行に当たる。
諸先生からスピーチをいただきました(発言順)
大田宏先生
(讀賣新聞最高顧問、元西部本社社長・大阪本社社長)
1998年、私は経済部長をやっていた時に、讀賣新聞1面に「量的緩和・インフレターゲットをやれ」と書きました。しかし、政府・日銀は採用しませんでした。15年後、安倍総理がそれを実現して、マーケットの雰囲気ががらっと変わった。まだデフレは続いていますが、ここは辛抱のしどころ。政府が責任をもって経済対策を行うことを明確にすることが肝要と思います。
太田正利先生
(元ザンビア・南アフリカ大使・杏林大学大学院教授)
私は東南アジアで二度駐在しました。ビルマとインドネシアです。両国とも親日的で、「独立できたのは日本のおかげだ」とまでいってくれる。日本は、アジアにいい影響も与えていることを、皆様にご報告したいですね。それと集団的自衛権は必要。他国と連合しなければ、日本だけで国を守ることはできません。
渥美和彦先生
(日本統合医療学会名誉理事長、元東京大学医学部教授)
私の家内の親父が、岸信介先生と一高・東大の同期ということで、たまに家にも遊びにこられました。そのお孫さんが今度協和協会の代表になられた、ということで「ぜひ」と思って出席しました。いま「これからの医療はどうなるか」「健康がどうなるか」「人々がどういう形で幸せになるか」ということを勉強しております。機会があれば、お話したい。
貫名基信(公財)協和協会理事
(元住友重機械工業取締役・住機興産社長)
私はメーカーにずっといました。技術屋というのは、自分のやっている技術を一生懸命やっていれば、世間知らずでも、すんでしまうものなんですね。当会に入れていただいて、出席するたびに、世の中にはさまざまな意見があるもんだなと実感しております。政府に向けて提言やアドバイスをされているのは、とても有意義なことだと思います。
江口茂勇氏
(三祥(株)代表)
前会長代行・江口一雄の倅で江口茂勇と申します。私は親父の秘書を平成2年から13年まで務め、活動させてもらいました。よくThink Globally. Act Locallyと言うんですが、中央で考えたことが、地方で理解できなければ物事はうまく回らない。そんなことを考えておりまして、ローカルでうまく考えを広めていく、ということを頑張っていきたいと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。
高橋利行先生
(政治評論家、元讀賣新聞監査委員長・論説委員・編集局次長)
マッカーサーが作った憲法は、とても評判がよかった。だけど、昭和25年には朝鮮動乱があって、すでに戦いは始まっていた。そのころ新しい憲法をつくろうという雰囲気はあったんです。なるべく戦争しない。それはいい。でも、国の基本法である憲法はきちんと変えなければいけない。自分たちの手で作り変えなきゃならんというのは当然のことだろうと思います。
若林克彦(公財)協和協会教育部会長
(ハリウッド大学教授、元国士舘大学学長)
私は、車づくりでPBL(課題解決型学習)を20年以上前からやっています。一方的に講義するのではなくて、ディスカッションしながら学習する。工学教育ではこれがいいと思っています。ところが今の大学で、これを応用してほしい、といわれて、苦労しているところです。当協会教育部会では、諸先生の意見を聞いていろんな課題について考えて、要請書につなげていきたいと考えています。
吉田英法(公財)協和協会交通部会長
(元香川・福岡県警本部長・関東管区警察局長)
昨年の交通事故死者数は、4117人で、下げ止まっており、難しい局面に入りました。極端なことを言えば、車がなくなれば事故は起きない。だから、免許を取り上げればいいんです。しかし、病院に行く、買い物に行くのに車がなければ行けない地域もある。そういう細かいところまで、警察だけでなく行政全体が協力して解決策を考えていかなければなりません。
小田垣祥一郎(公財)協和協会少子化対策委員長
(元東北管区警察局長・島根県警本部長・在香港日本領事館領事)
安倍内閣はアベノミクス新三本の矢ということで、その一つとして「希望出生率1.8」を掲げました。数値目標を設定して、少子化問題に取り組む姿勢を示されたので、心強い限りです。しかし、解決までには長い時間がかかります。私どもも微力ながら最善を尽くして努力し、頑張っていきたいと思います。
年頭挨拶
岸信夫会長代行のあと挨拶予定だったが、半田理事長は、国内ばかりでなく、国際的にも活躍されているので、出席が遅れたが、ここで到着。30分近く、下記のような貴重な年頭講話があり、感銘した。
半田晴久理事長
皆様、あけましておめでとうございます。明治天皇の御製に「絶えたりと おもふ道にも いつしかと しをりする人 あらはれにけり」があります。この道が絶えて廃れるかと思ったら、いつの間にかその道をつないでいく人が現れるという意味です。吉田茂、岸信介先生が、あのときあの人たちでなければ決断できなかったんじゃないか、ということをやった。日露戦争の時は、児玉源太郎、東郷平八郎、乃木大将、秋山兄弟がでて戦争に勝った。その人たちの決断の偉大さを、痛感いたします。安倍晋三さんも、舵取りの難しい時代の首相として現れて、国を支えていくんだと思います。あと少なくとも5年は首相でいてほしい。アベノミクスとか安保法制も、一つ一つ確実に決めていくには必要なことばかりです。
天皇陛下が平けく安けく国を思う時に、祈りの空に歴代の天皇、その後ろに伊勢神宮、その他の神々に守られる。それが天運を授かるということ。そういう首相や大臣が、私の心をなくして公の心で国のためにと思ったら、神々が応援する。それは文天祥の『正気の歌』。「天地は物事を正そうとする気に充ちている。動乱の時はそれを平穏にし、平和な時代にして行こうという働きが出てくる」。日本でも世界でもそうやって歴史は繰り返されている。
私は、岸信介先生が生きていたら、いまどうなさるだろうかと、吉田茂はどうするかな。民間に岸先生がおられたらどうなさるだろう。いつも私はそう考えております。その立場を貫いていきます。その一つが、公益財団法人協和協会、時代を刷新する会ですので、皆さんの活発な議論を今年もよろしくお願いします。私は65歳になりますけれども、85までは20年ありますので、まだまだ支えて行きたいと思います。ありがとうございます。(拍手)