平成26年12月19日(金)                自由民主党本部901号室

江口一雄先生を偲んで

祭壇

 昨年(平成26年)11月27日に急逝された(公財)協和協会会長代行兼教育部会長・江口一雄元衆議院議員の御葬儀は、同12月4日、地元の千葉県八千代市にて、豊田俊郎参議院議員が葬儀委員長を務め、驚くほどの方々が参列して執り行われました。ただ、八千代市は遠いこともあり、当団体会員があまり参加できず、また、総選挙中のため国会議員の参列が限られた。そこで上記の両団体にて、「江口一雄先生を偲ぶ会」を持ちました。以下内容をご覧下さい。

江口一雄先生の御遺影・御略歴
御遺影

 この御遺影は、平成19年秋の叙勲にて、旭日重光章を受章された時の記念写真と思われますが、平成26年12月4日に地元・千葉県八千代市にて執り行われた御葬儀にも掲げられていましたので、今回の「江口一雄先生を偲んで」でも、その御遺影を縮小して、正面に掲げさせていただきました。



[江口一雄先生の御略歴]  昭和12年9月25日生。御父上が大東亜戦争下フィリピンのルソン島にて戦死されたので、大層苦労して成長されたと聞く。苦学して千葉大学園芸学部を修了されたが、御苦労は続いた。昭和49年に、一念発起して千葉県議に立候補して当選。以来4回当選されている。その間に、八千代松陰学園創立にあたり、所有土地約1万坪を無償提供され、乞われて副理事長を務める。昭和61年7月、衆議院選挙に立候補して初当選。以来3回当選されている。平成2年12月〜同3年11月まで防衛政務次官。平成4年12月〜平成5年7月まで自由民主党副幹事長。平成9年9月〜同11年10月まで衆議院厚生委員長。平成12年6月に衆議院議員を退任。なお、前記の設立に尽力された八千代松陰学園について、平成5年以降、乞われて理事長に御就任。
 また平成15年に、岸信介元総理が創立した当「(公財)協和協会」及び「時代を刷新する会」に入会下さり、教育部会や月例会に熱心に参加され、平成17年11月から理事兼教育部会長。平成19年6月に常任理事。平成21年春、当団体第4代会長・塩川正十郎先生が90歳を期に退任されたあと、勧められたが、「この団体は、歴代、総理ないし議長経験者クラスが会長職を務められているので、会長代行なら」と、亡き日まで、会長代行兼教育部会長をお引き受け下さった。

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御列席の方々
高村正彦先生

高村正彦自由民主党副総裁 兼外交再生戦略会議議長(元外務大臣2回・法務大臣・防衛大臣)

谷垣禎一先生

谷垣禎一自由民主党幹事長(前法務大臣・元党総裁・財務大臣・党政務調査会長・国土交通大臣)

町村信孝先生

町村信孝清和会会長、数日後に衆議院議長就任
(元文部大臣・文部科学大臣・外務大臣・内閣官房長官)
偲ぶ御発言要旨 江口先生とは気が合い親しかった。御自分の土地を提供して創立した学校へもまいりました。先生は特に教育、防衛という国の基本に熱心で、政治家とはかくあるべしという御活動でした。もっともっと御活躍いただきたかった。いま拝見して御子息、お孫さんも立派に成長されている。心から御冥福をお祈りいたします。

細田博之先生

細田博之自由民主党幹事長代行、数日後に清和会会長就任 (元内閣官房長官・幹事長・総務会長)
偲ぶ御発言要旨 江口先生の人柄は皆さんご存知の通り、快男児でした。永年の同志・江口先生の急逝は残念でなりません。御葬儀が総選挙中でしたので、こうして偲ぶ会を催されたことに感謝します。〔細田先生は真っ先に会場に来られて一旦中座されたが、その間に党幹部をお誘い下さったことを悟り、温かいお心遣いに感動した〕

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細田博之先生

衛藤征士郎自由民主党外交経済連携本部長
(元衆議院副議長・防衛庁長官・予算委員長)
偲ぶ御発言要旨 政治家に五つの軸足がありますが、その中で一番大切なのが人間軸です。江口先生には、人格高潔な人間軸がどーんとありました。国会議員も江口先生にはみな敬愛の念を抱いていた。御急逝は残念ですが、私たちは、江口一雄精神を継承して頑張って行くことをお誓いして、私の追悼の言葉とさせていただきます。

稲田朋美先生

稲田朋美自由民主党政務調査会長(元行政改革・公務員制度改革大臣・内閣府特命担当大臣)

中谷元先生



中谷元自由民主党副幹事長、新春に防衛大臣就任(元防衛庁長官・党農林水産戦略調査会長)

中山泰秀先生



中山泰秀外務副大臣
(元自由民主党遊説局長・報道局長)

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大野松茂先生

大野松茂元衆議院議員・内閣官房副長官
(元狭山市長・埼玉県議)
偲ぶ御発言要旨 江口一雄先生は中選挙区時代当選。私は小選挙区初めての当選ですが、いまご紹介いただきましたように、江口先生と私は県会議員出身で、共通項がありましたので格別お世話になりました。しかし、江口先生が、資産を提供して八千代松陰学園を創設されたことは、誰も真似できません。その学園が学問・スポーツで活躍の報に接する度に偉大さを感じます。

小林正先生

小林正元参議院議員・教育評論家
(元新緑風会政策審議会長)
偲ぶ御発言要旨 まず安倍先生が第一次政権で教育基本法を改正され、第二次政権では官邸に教育再生実行会議を設置され、鋭意、教育改革を進めておられることに敬意を表します。江口先生が、この主催団体で教育部会の部会長を務められ、いろいろ要請書をつくるなど努力されていることを知っており、それだけに、御急逝が惜しまれてなりません。

豊田俊郎先生

豊田俊郎参議院議員・12月4日江口先生御葬儀で葬儀委員長
(元千葉県議・八千代市長で、江口先生の後継者というべき方。今回の偲ぶ会でも、開会の言葉をお願い申し上げた。感謝いたします)
偲ぶ御発言要旨 江口一雄先生と私は同じ八千代市出身、家も近くです。江口先生は千葉県議を4期13年、八千代市の大発展の恩人です。衆議院議員3期は国政へ全力投球。御急逝が惜しまれてなりません。御冥福をお祈りいたします。

半田晴久先生

半田晴久当団体理事長 国内外で幅広く活動する理事長は、交通事情もあり、偲ぶ会の終了近くに到着。献花のあと偲ぶ言葉を述べた。20分に及ぶのでその要旨。
偲ぶ御発言要旨 江口一雄先生急逝の報に接し、昔から死は無常迅速と言いますが、まだ77歳とのこと、本当に惜しい人を亡くしました。その志は、これからも引き継いで行きたいと思います。江口先生、あの世から協和協会、八千代松陰学園、江口家を見守っていただきたい。

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お礼の言葉
江口茂勇様

御長男の江口茂勇様・御孫お二人
 本日は年末のお忙しい中、(公財)協和協会と時代を刷新する会にて、父を偲ぶ会を催していただきありがとうございます。思えば、父はその父親がフィリピンで戦死したためか、その一生は、何事も猪突猛進といいますか休む暇なく熱心に取り組んだ一生でありました。本人として、悔いのない一生であったと思います。皆様の最後までのお付き合い、感謝申し上げます。

司会進行・弔辞
清原淳平専務理事

清原淳平専務理事
 昭和の時代から、共催両団体の執行に携わり、江口一雄先生との親交があったので、清原淳平が司会進行役を務めた。また弔辞を御遺影に奉呈申し上げた。

弔辞・江口一雄先生を偲んで
 江口一雄先生 永年にわたって、岸信介元総理創設に係るこの公益財団法人協和協会ならびに時代を刷新する会の代表理事、会長代行、そしてその内部の教育部会長をも兼任下さいまして、本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。思えば、江口一雄先生は八千代松陰学園を経営しておられましただけに、国会議員を退任されましてから、当団体の教育部会に熱心に御参加下さいました。平成21年当団体第4代会長塩川正十郎先生が90歳を機に退任されるに当たり、塩川先生から江口先生にお話をされたときに、江口先生は「初代の岸信介先生をはじめ歴代総理・議長クラスの方が就任されているから」と辞退をされましたが、たって御願い申し上げますと、「では安倍晋三総理が十分総理をお勤めになって、おやめになるまで会長代行ということで、お引き受けをしましょう」と言われまして、会長代行を務めて下さいました。江口一雄先生はそうした心配りのある方で、当団体の月例講話会や教育部会に出られても、まさに教育者といえる立派なお人柄、御人徳の方でいらっしゃいました。
 去る9月17日教育部会長として議員会館でいつもの教育部会がありました時に、こられてすぐに「清原さん話があるよ」と言われるので、何事かと思いましたら、江口先生おっしゃるには「いま議員会館へ来る前に医者に立ち寄り、健康診断の結果を聞いたところ、肝臓と膵臓に癌があると言われた」と。色々と学校経営のこともあるのでどのくらい生きられるかと聞いたところ「半年と思って下さい」と言われたと。「協和協会と時代を刷新する会の会長代行もどうするかね」と言われまして、色々ありましたが、結局私は「お気持ちは分かりますが、とにかく病気を治すことに専念しましょう」と申し上げました。私は手術をしないでレーザー光線を四方八方から当てて、癌のところを焼いて直すところを知っています、と申し上げますと、是非その医院を紹介してほしいと言われましたので、じゃあ早速段取りを致しましょうと申し上げ、その日は江口先生は教育部会の議長をいつものように務められました。それから10日ほどで、私の知っている癌をレーザーで焼く院長先生との日程調整も出来ましたので、お電話申し上げましたところ、「いま検査入院でがんセンターに入っている」とのお話。そしてそれから10日ほどしてお電話があり、「がんセンターから手術という話も出ている。入院した以上医師の指示に従いたいので、清原さんのレーザー光線照射の話は断ってほしい」とのことでした。そして11月27日に急逝されたとの報に、私たちは翌日の28日に、接したわけですが、私としては驚き残念に思いました。しかし、12月3日のお通夜、翌日の告別式に参列いたし、最後のお別れをしましたが、その御顔を拝ませていただきまして、やつれてもおられず、御生前のように穏やかなお顔でいらっしゃいました。また、御家族に見守られて、御眠りになったまま静かに息を引き取られた、とうかがいまして、私もこれが天命でいらしたんだな、と納得をいたしました。また御葬儀は沢山の方々が参列され、自衛隊の吹奏楽があり、儀仗兵の捧げつつのお見送りもありました。本当に御立派な御人生であったと手を合わせました。当団体の議員会館での会議、月例会、それから教育部会その他にも出られましたが、遠くから本当に熱心に通って来られました。江口先生、本当にありがとうございました。江口先生、どうぞ極楽世界で安らかにお休み下さい。 合掌

 平成26年12月19日
        公益財団法人協和協会 時代を刷新する会 両団体専務理事 清原淳平



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