平成25年5月28日(火)

大野功統先生の
旭日大綬章・受章をお祝いする会!

大野功統先生

大野功統先生

前衆議院議員、元防衛庁長官

概要

大野先生の記念御講話は、お父上のお仕事の関係で、終戦を台湾で迎え、蒋介石軍の進駐で、御家族とも大変な御苦労をされたお話があった。日本に戻って、高校では足が早かったので、野球部に入った。3番打者、センターだった。東大に入っても野球部に入った。卒業して1959年に大蔵省に入った。1964年には、東京オリンピック、新幹線開通、IMF東京総会が予定され、その費用を世界銀行から借りることになった。大蔵省入省後2年目に、私は世銀調査団長の奥様係を命ぜられた。これは大変な仕事だ。なぜなら、奥様を怒らせると団長の日本評価に影響し、世銀から借りられないかも知れないからで、その苦労話もされた。大平正芳先生は香川県の同郷で、先生が外務大臣の時は通訳でよく外国へお供した。大平先生は、言語不明瞭と言われたが、内容は明瞭なので、外人から君の通訳はよく分かると褒められた。その後、大平先生の勧めで、香川県知事に立候補したが惜敗し、8年間浪人した。その後、総選挙に出て以来、連続当選8回・27年間、国会議員を務め沢山の思い出がある。特に防衛庁長官時代は、町村外務大臣と大野防衛庁長官 対 ライス国務長官とラムズフェルド国防長官の、2プラス2で、普天間移転もすでに詰めているのに、鳩山首相の「最低でも県外」の発言で御破算になり、残念だ。そうした経験から私が得たのは「人と人とのふれあいの大切さだ」と結ばれた。  

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