平成25年2月27日(水) |
中国の対日強硬策の裏を読み解く! |
遠藤誉先生
筑波大学名誉教授概要
まず体験談として、父上が、旧満州国首都新京(現在の長春)で製薬工場を経営されていたので、技術者を必要とする国民党軍に家族ごと抑留された。その後、長春は中国人民解放軍によって包囲され、市民30〜35万人が餓死するのを目の当たりにした。占領した解放軍下で小学校に入ったが、ひどいいじめにあった。その間、家族も亡くなり、昭和28年9月、辛うじて日本に帰った、という凄惨な体験をし、それが、理学者でありながら、中国問題研究家になった由縁である。
次に、中国共産党の権力構造は、ウェブサイトでは全国人民代表大会が一番上にあるとされるが、実際は、中央政治局常務委員会が中枢権力を握っており、その多数決で結論が出せるように奇数になっている。胡錦濤政権では9人だったが、習近平政権では7人に減らし判断しやすくした。日本の報道では、江沢民派と胡錦濤派が多数を占めたとしているが、それは誤りで、確かに重慶の実力者・薄熙来は習近平と近いが、その悪行を胡錦濤が処断して、綺麗にして政権を渡したことで、習近平は胡錦濤に感謝している。尖閣諸島については、第2次世界大戦で日本の敗色濃厚となった1943年12月1日に、日本の戦後処理について「カイロ宣言」が出されたのに先立ち、ルーズベルト大統領が蒋介石総統に、琉球列島を中国が領有したらどうかと提案したのに対し、蒋介石は断ったという事実がある。これも、日本の領有権の根拠として主張すべし等々、沢山の裏事情の発言があり、一同感銘しました。