平成24年7月27日(金)

岸信介と未完の日本 ──岸ナクシテ・日本ナシ!──

福田和也先生

福田和也先生

文芸評論家、慶應義塾大学環境情報学部教授、
著書多数


概要

 当協会創立者・岸信介元総理の祥月命日が八月七日であり、亡き岸総理を偲びたい、と考えておりましたところ、たまたま文芸評論家の福田和也先生が、『岸信介と未完の日本──岸ナクシテ・日本ナシ──』と題する著書を上梓され、拝見すると、戦後生まれの研究家でいらっしゃるだけに、安保騒動時の悪意の評論とはやや異なる客観的な人物評価をされており、また、新しい事項も発掘されているので、御講話をお願いしました。
 その要旨は、岸信介先生は、東京帝大を優秀な成績で卒業。本来なら大蔵省へ行くところ、あえて農商務省を選び入省したのは、資源のない日本の将来を考えてのことだと思う。入省二年目にアメリカヘ派遣され、フィラデルフィア万博の日本館設営に従事。当時アメリカの鉄鋼生産は6000万トン、日本は100万トンなので60倍の国力の差があることも認識された筈だ。そのあと、第一次大戦の敗戦で疲弊したドイツに行かれ、その産業合理化政策により急成長している様子を視察。それが、帰国後、当時建国された満州国へ行き、その産業合理化政策を実践しようとされたものと思われる。近衛内閣〜東条内閣では国務大臣を務めたが、このまま戦争を継続しては日本の国体を護れなくなると考え、東条内閣打倒へ動き、憲兵に監視されつつも命掛けで、東条内閣打倒を実現した。戦後はA級戦犯として巣鴨に拘置されたが、GIに諂う人物もいる中で、毅然とした姿勢を取りつづけ、結局、不起訴で釈放された。
 巣鴨出所後、一人一党の日本再建連盟を創設したが、乞われて自由党の議員。のち民主党をつくり幹事長となり、保守合同を実現。昭和三十二年内閣総理大臣に就任。戦時中迷惑をかけたアジア諸国を歴訪。また旧安保条約では独立国とはいえないとして、安保条約改訂に反対する怒号の中、死を覚悟して実現。その断固とした政策力・実行力を心から尊敬する、と結ばれた。


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