平成26年3月24日(月) |
大震災・原発事故後の福島県下の |
井坂晶先生
原発事故で立ち入り禁止の双葉郡・医師会会長、
坪井病院勤務
東日本大震災の10大特徴
東日本大震災の10大特徴としまして、1番目に、今回のこの震災は千年に一度のM9の巨大地震であったということですね。2番目に20mに及ぶ巨大津波、私のいる富岡町は、20mくらいの岸壁があってその上にレストランがあったんです。それがことごとくやられてしまった。第一原発のところは16mの津波。報道ではまちまちなんですが、東北大の地震研究科よりあとで報告された状況がそうです。今回、第2波、第3波が強かったんですね。だから、物を取りに戻ろうとして流されたとか、そういう方がたくさんおられます。3番目に原発の水素爆発。国策で出来た原発ですから、しかも安全神話で通ってきた原発ですから、国難になりますね。管理体制もよくなかったため人災でもあります。
4番目に当時ライフラインは全部遮断されましたから、情報が全く入らない。何のために逃げるのか、どこまで逃げたらいいのか、どっちに逃げたらいいのかわからない。今後、そういう状況で、災害が起きたときに、しっかりこれを管理していただかなくてはいけないと思います。5番目、避難指示が何度も変わった。今回の原発がらみで避難させられた方々の中で、ひどい方は20数回も移動させられた。ここで一番苦労したのは、非常に話題になった双葉病院。避難のために救援隊を求めましたが、なかなか来てくれない。所帯も大きいわけですから、先生が少ない割に患者さんは多いわけです。3日、4日目に自衛隊が入ってくれた。何で移動したかというと、自衛隊のトラックですよ、それに患者さんを乗せて移動するわけですが、どこに避難したらいいか指示がないわけですね。結局自分で探さなきゃならない。福島を回って、郡山回って、結局、いわきの体育館です。病人を体育館に寝せるしかないんです。その間、8時間から10時間の移動、その中で、バスの中で亡くなった方、3人、体育館に入って亡くなった方、20数名、全体で40数名。こういう大移動の仕方をしなければならないんですね。このへんを、課題として、国にお願いしたい。やはり、医療施設、それから介護施設、自宅で介護している、そういうところを把握して、そういった方々の避難のあり方について、指示をしないといけない。これはやはり国の責任ですね。
それから、6番目、風評被害です。それから風化被害、いまだにあります。福島県ナンバーの車は嫌われるとかいじめられるとかいろいろあります。7番目に放射能汚染されたとこには、立ち入りできない。除染も進まない、その中で復興が遅れてしまう、8番目には、災害死、避難関連死、それに加えて原発関連死というのが出てきています。9番目にスタッフが足りない。そして10番目に廃炉まで30年故郷には帰れない、です。早く手を打たなければならないのに、いまだに仮置き場で苦労している。最初からここは帰れないんですよ、と説明をして納得させて、こっちのほうで場所を提供するから生活してください、とそういう説明の仕方がなぜできなかったのか。
避難指示区域の状況
左の地図は、避難指示区域の一番新しい情報の変化です。こちらに川内村があります。ここが一番初めに帰宅指示解除が出ました。広野町も線量が低いのでここも出ました。しかし、なかなか住民は帰りません。周りに帰還困難地域があるし、仮置き場の問題もまだ解決しない状況ですから。広野町は千人ぐらいしか帰っていない。川内村は半分ぐらい帰ったかどうかですね。4月から楢葉町が帰還できる予定の地域ですが、ここも千人帰るかどうかわかりません。その上に富岡町がございますね、紫のところが富岡町なんですが、ここは居住制限区域、立ち入りはできるんです。ただし9時から3時までということになっています。やっと今年に入って、除染が始まった状況です。もっとひどいのは大熊町、双葉町、それから浪江町ですね、ここは6号線が走っているところです。双葉郡というのは、非常に縦長でして、広野町から浪江町まで(相双地区)、南相馬、相馬地区ということで全部で100kmぐらいなんですね。それを貫いて走る6号線が寸断されて震災の時は通れなかったですよ。従って中通りに避難せざるを得ませんでした。
関連死の問題
災害関連死問題に入らせていただきます。これは、昨年の12月18日の新聞です(右)。根本復興相のおかげさまで福島復興再生総局を福島市においていただきました。しかし、私としては、なぜ現場に置いてくれなかったのか。福島市というのは中通りですので阿武隈山峡を越えて、浜通りを見るしかない。福島市、郡山市はいま普通に生活をしています。そういうところに置いて、浜の実情が見えるかということですね。根本相は、災害関連死が増えていますので、東京電力原子力第1原発の事故に伴う、長期避難で死亡したケースを原発事故関連死と明確にし、現行の災害弔慰金制度に反映させるとは言っていただけましたが、はて、いつまでにどうするのかについては、ほとんど市町村に委ねております。各町村みんな違うんですね、やり方が。国としての指針を示すべきだと考えます。中途半端な指導はしないでもらいたいと思います。関連死が県内に1605人。これは去年の11月末の話ですが、今1650人で、直接死は1600人ですから、これをすでに上回っています。この実態をどうとらえるかですね。制度が非常に甘い。きちっと見直ししていただきたい。
災害関連の実情の中味を見てみますと、ここに自殺の問題が出ております。よく中味を見ていただきたいと思いますが、福島県はどんどん自殺が増えている。なぜでしょう。3年も経って仮設に押し込められていつ帰れるかも分からない。そういうストレスと悲壮感、それが非常に漂ってくるわけですね、そうしますと、宮城県は復興に走っています、手が付けられない福島県はどうにもならないわけですから、悲観せざるをえないわけです。それで自殺が増えてしまうわけです。今後も増える可能性があるということです。下の表を見ていただきますと、高齢者の自殺者が多い。50代から60代この辺が悲壮感で先が見えないということで多くなるということですね。こちらの方には生活問題、経済問題、それから病気になってしまう、ストレスをかかえていろいろ病気が出てくるということで、こういう問題が出てきております。これを管理していく方法を考えていかなければいけないのですが、まだはっきり出ていない、県民健康調査は受診率が低迷しており、不十分です。
災害関連死を減らすために何が必要か?
1番目に、発症者、入院患者、施設の入所者、そういった方を移動させる場合には、被災地外の健全に機能している、医療機関に搬送すべきだということです。今回の災害では、病院は自分で勝手に受け入れ先を探して、受け入れ先がないと体育館のようなところへ運んで、そこでは治療もなにも出来ないですから、死んでしまうのは当たり前ですね。そういうことにならないように国で指針をちゃんと作って示さないといけない。今回は、東日本大震災で全部やられているわけでありますから、行政の方で、日本海側の病院関係をきちっとあたって、病院に交渉しないと、死者が出るのは当たり前ですね。そういうところをぜひとも検討していただきたいと思います。
それから2番目、在宅介護者、要介護4とか5の方は自分では動けません。それに付き添っている方、津波で流されてしまって、亡くなっている方が結構います。
3番目に見回り隊によって、発症の危険性のある方を早く見つけてそれを対応するという見回り隊は非常に重要ですね。これは、自治組織で立ち上げなければいけない問題だと思います。
4番目、避難所生活のリスクを減らすこと。これは環境の整備です。いま入っている仮設は2年と言われたのが、もう3年になりました。床下は腐って、天井はトタンみたいですから夏暑く、冬は寒いというところで、4畳半と6畳、そういった、息詰まる環境を改善させる、まして、原発が爆発したということであれば、当然、先ほどお話しした20年、30年帰れないところがある。なぜ仮設に入るのか。最初から、復興住宅でしょう、そこら辺、無駄なことやめていただきたい。そういうことを、きちっと国で指示をしないといけないと思います。感染症の問題もありますね。それからエコノミー症候群とか、精神面のケア、食事指導とか、運動指導、そういったもの、仮設から早く安定した生活に移動できるように指導をお願いしたいと思います。
災害関連死でもう1つありますが、今回問題になったのは避難移動中に、避難所に入れなくて、車中泊で、エコノミー症候群で亡くなった方が結構いらっしゃいます。これは中越地震のときもそうですね。車中泊で、肺血栓、下肢の血栓症で亡くなった方々がいますので、その辺の指導が必要です。避難者の生活支援の目標としまして、発病や死亡の軽減をいろいろな施策で減少させることが一番大きな課題であろうと思います。できるだけ快適な生活環境を提供していただきたい。すみやかな復興住宅、いまだに検討中で、建つところも決まらない、入札だとか始まりますと、今年、一体入れるのかということですね。仮設で4年も暮らせということでしょうか? そういったことを、きちんと指導していただきたい。
それから5番目に、行政の迅速な対応。とくに福島県は、対応が全然悪い。たとえば富岡町は町立診療所がなかったところです。しかし、2700人入ったビッグパレットですけれど、仮設診療所申請してもならず、今現在、仮設住宅の中に診療所を立ち上げておりますが、こういう大所帯のところには、医療福祉を充実させなければいけないんです。それなのに建物だけ建てて入りなさいと、そういうやり方ではだめなんですね。避難所のコーディネイターを配置して、その辺をきちっと組み立てていただきたい。それから、縦割り行政ですから、医療と福祉が別々なんです。浪江町の同じ敷地に、医療診療所と介護所が重なっていたんですよ。どうやって運営するのという事です。岩手県、宮城県では、診療所申請したら3日でできているのに、福島県は半年もかかっているんです。健康福祉治安の整備、行政の臨機応変な対応が非常に重要なことです。
それから避難所のリスク因子としましては、感染症対策です。ビッグパレットでもそうですけれど、肺炎、インフルエンザとかノロウイルスとか食中毒の問題もありました。これらも軽減するように工夫しないといけない。基本的な健康の維持、震災のストレス、これが非常に大きい、これからの問題です。長期化し、ストレスが大きくなりますから。こういったところの管理をしていかなければいけない。救護班、仮設の診療所の設置、様々なボランティアの協力といったものが必要です。高齢者は特に孤独死や認知症の進行などの防止の施策をしなければいけないということですね。
今回の福島の災害では、日本全国に住民が避難しています。放射線の影響が無ければ、そんなに散らばる必要はありませんでした。原発の管理、環境放射線管理、県民健康管理もうまくいっていません。原発作業員の健康管理もうまくいっていません。廃炉まで30年、40年、この対策を福島に依存していたのでは、前へ進みません。ナショナルセンターを早く地元につくっていただきたい。オフサイトセンターを南相馬市といわき市につくる予定ですが、少なくとも一箇所は、総合的な管理をするナショナルセンターを地元の第2原発の近くにおいていただきたい。そうお願いして私のお話を終わりにさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。
●同じ日にお話いただいた坪井永保先生の講話内容は、こちら。